「速読」について ふと思ったこと

「速読」についての本をいくつか読んだことがあります。

読んだころは、読めるなら早い方が良いと思ったりとか、流行っていたからという理由で読んだのですが、特段何か変わったということはありませんでした

根本から違う?

で、昨日ふと思ったことがあります。

著者の伝えたい速読私が思っている速読根本から違うのかなということです。

どういうことかと言いますと、

私が読んだ「速読」の内容の割合は、
「速く読む技術が2,3割」<「速く読むマインド(モチベーションを保つ)が7,8割」
という感じがしました。
※私が読んだ本に関して

ですが、私が想像していた「速読」は速く読む技術の方だったと思います。

そこに根本からの違いがあって、読んでみて、「分かるけど…」とか「んー」と思ったりして、そのやり方は続きませんでした。

そんなこんながあって(速読の本を読んだのはかなり前です)、なぜか昨日ふと自分の中で腑に落ちました。

読みたい本だから速く読める

本を速く読むのではなく、読みたい本だから速く読めるということなのかなとふと思いました。

速く読めるというよりは、気づけば読み終わっているといった方が正しいですね。読みたいからストレスもなく、寧ろ快楽・好奇心の方があります。楽しい時間はすぐ終わるということです

速読の著者は「速読の技術」より「本を読む敷居を下げる」というために書いているのかもしれません。速く読めるのであれば、多くの本を手に取ります。気に入る本もあれば、気に入らない本もあります。気に入った本は何度も読んで関係を深くすればよく、気に入らなければ「いつかまた」と倉庫番や他の方の手へ渡ればOKという感じなのかなと。

なので読み飛ばしながらでも早く読んで、相性の良い本を探すのはいいかもしれません。読まないよりは良いというやつです。

個人的には現状そんなに本を読んでいるわけではないので、一先ずは読みたいと思った本を読んでいこうと思っています。勝手に「速読」になると思っています。笑

読みにくい本は速読の必要はないのかなと

読まないといけないと思っている本を速く読むのって苦労しますよね。「ページ数」や「時間」だけが気になって何のために読んでいるのか分からなくなります。その上、速く読むことが目的になってしまうと本の内容は結果すぐに忘れてしまい、2度目を読まない可能性が高いです。よって、1度読んだ満足感以外は何も残らないとなってしまいます。

好きではない人やどうでもいい人と、積極的にかつ直ぐに打ち解けたり、スムーズに意思疎通をしていくのは難しいと思います。もちろん、「案外気が合うな」とか、「こういった部分では共通点があって仲良くなれるかも」などあるかと思います。ただ、それをなるべく速く簡単にとガツガツ突っ込んでいくという方法はあまり上手かない気がします。もちろんとても上手な方はいますが。

それと同じように初めて挑戦する分野の本とか、薦められた本とかであれば、「速読」ということは気にせず、初対面の人とコミュニケーションをとるくらいの気持ちで読んだ方が寧ろ速く読める気がします。初対面の人と話が合えば、次会う機会もできます。案外気の合った本が2回目も読むのではないでしょうか。本を1度で頭に入れれたり、自分の中に落とし込んだりするのはごく一部の人しかできないと思います。2回目読みたい本が自分にとって良い本なのだと思います。

なので、1度目に速読を行うより、好きなところを探しながら気長気ままに読んでいくくらいでこれからは読んでいこうと思いました。

そう考えると「速読」の内容に納得

上のように腑に落ちたとき、「速読」の本を読んだときと印象がガラリと変わりました。

著者は「本を読む大切さ」「何度も読む方が良い」「気になれば速く読める」こういったことを熟知しており、そこを実体験できるよう先導してくれているのかなと感じました。

というか私がそう思うことにしました。「速く読む技術とかコツ」は読んでいくうちに自分がやりやすい方法で勝手にそうしていくと思っています。実際、昔に比べれば速くなっていますし、技術的には限界があります。

これからも読みたいと思う本、何度も読みたい本と付き合っていければと思っています。